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『ドリーム』:「私たちのアポロ計画」でなぜ悪い??【邦題批判への反論】

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Hidden Figures | Teaser Trailer [HD] | 20th Century FOX

 

『Hidden Figures』こと『ドリーム』

 今回取り上げるのは、アメリカで2016年12月に公開、日本では今年9月に公開予定の『Hidden Figures』こと『ドリーム』です。まだ日本で見ることは出来ませんが、私は幸いにも少し前に鑑賞することが出来ました。アメリカでは『ララランド』を越える興行収入だったそうで、かなりの注目作でありながら社会派ノンフィクションという日本では地味に受け止められがちなジャンルの映画です。映画の内容は、アメリカとソ連による冷戦の真っただ中、二国間で宇宙開発競争を繰り広げていた時期のNASAを舞台に、職員として働く黒人女性たちが差別と闘って自らの夢を叶え、出世していくサクセスストーリーとなっています。

 

 

邦題変更騒動について

 この映画のもともとの邦題は、配給元の20世紀フォックスによって『ドリーム:私たちのアポロ計画』とつけられました。しかし、この邦題がストーリーと整合性がないとSNS上で話題となり、批判を浴びた結果『ドリーム』に変更されてしまいました。批判は、この映画で取り扱っているのがNASAによるアメリカ初の有人宇宙船の打ち上げを目指したマーキュリー計画であり、人類初の月到達を目指したアポロ計画ではない、というのが主な理由です。

 ここでひとつ疑問が浮上するのですが、なぜ邦題を批判する人たちは、まだ日本で上映されていない映画の内容を知っていたのでしょうか。まず思いつくのがアメリカや飛行機内などで鑑賞した人たちです。それに加えて、映画評論家の町山智浩氏によるTBSラジオの番組『たまむすび』*1で紹介されたことも一因として考えられます(また、彼は映画のポスターにもコメントを寄せています:上の画像参照)。この番組で町山氏は、映画がマーキュリー計画を扱ったものであることを明言しています。これによって映画ファンの方々は、映画の内容を間接的に知ることになったのでしょう。つまり、何が言いたいかと言うと、どうせSNSで邦題を批判していた人たちのほとんどは、映画を観てないんだろうなってことです。この騒動の初期段階から、映画を観ていて批判している人も一定数いましたけど、騒動で母数が大きくなるにつれ少数派になっていった印象です。

 私は邦題を巡る一連の経過を知りつつこの映画を観たわけですが、『ドリーム:私たちのアポロ計画』という邦題は正直そこまで悪くない、それどころかよいとさえ思えました。なので、これから詳しく騒動のまとめと、なぜよかったのかを説明します。

 

邦題「私たちのアポロ計画」の意図

 では、邦題の意図から見ていきましょう。邦題への批判が相次いでいることを報じたBuzzFeed Newsは、20世紀フォックスに取材し、以下のような回答を得たと書いています。

この邦題はどんな経緯や意図で決まったのでしょうか? 同作を配給する20世紀フォックスの作品担当者に聞きました。

「映画の内容としてはマーキュリー計画がメインであることは当然認識しています」

「その上で、日本のお客様に広く知っていただくための邦題として、宇宙開発のイメージを連想しやすい『アポロ計画』という言葉を選びました」

 

原作のノンフィクション「Hidden Figures」(「隠された(人たち/数字)」のダブル・ミーニング、映画原題と同じ)では、マーキュリー計画に関するエピソードだけでなく、より前後に広い時間軸が描かれているそう。

「どちらも当時のNASAで並行して動いていた宇宙開発計画であり、最終的にアポロ計画につながるものとも捉えられる」と説明します。

 

邦題を決める際に「確かに懸念の声も上がった」としつつ、「作品の本質にあるのは、偉大な功績を支えた、世の中では知られていない3人の女性たちの人間ドラマ。ドキュメンタリー映画ではないので、日本のみなさんに伝わりやすいタイトルや言葉を思案した結果」と判断の理由を話します。

 

「ネット上で否定的な意見があることも確認していますが、こちらからコメントを出すつもりは現段階ではありません。この作品に限らず、映画は観る前も観た後も、さまざまな感想を持っていただくものと考えています」〔ブログ筆者注:この時点ではまだ邦題の変更は検討されていませんでした。〕*2

まず、20世紀フォックス側は、観客のイメージしやすい言葉であったためだと説明しています。そして、物語との整合性については、この映画がマーキュリー計画だけでない広い時間軸を扱っており、最終的にアポロ計画につながっているとして反論しています。また、最後の発言は、観る前と後では感想が違うだろうと言っているように聞こえます。

 要するに、見てくれれば分かると言っているわけです。確かにフォックス側としてみればネタバレするわけにもいかないですから、この取材への回答は相当困ったことでしょう。ただはっきり言ってわかりやすさを優先したというこの回答は、観客を馬鹿にしているといった論調に油を注いだ結果となったことは想像に難くありません。

 しかし、20世紀フォックス側は、マーキュリー計画を扱った映画であると知りながら邦題を付けましたし、その邦題が物語との整合性もあると考えていたことがわかります。しかも、邦題を付ける際に「確かに懸念の声も上がった」と言っている。つまり、批判も上がることを覚悟でこの邦題をつけたということです。それじゃあ、一度立ち止まってフォックス側の意図をちゃんと理解しようとしてみましょう。

 映画がマーキュリー計画だけでない広い時間軸を扱っていると言っている点は、確かにその通りでした。というのも劇中では、アポロ計画に関する話題が出てくるからです(正確には人類の月への到達の話題であり、あたりまえですがアポロ計画という言葉はセリフとして出てきません)。宇宙開発競争の初期段階であるマーキュリー計画が進行する中で、主人公は上司からNASAの最終目標が月への到達であることを聞かされます。つまり、NASAの職員たちは、マーキュリー計画に取り組みながらも、既に月を目指していることが示されるのです。問題となった邦題について考えるとき、これは重要な点となります。というか私は、これが映画の中でも最も重要な要素の一つだと思います。20世紀フォックスが言う通り、確かにこの映画の中では、マーキュリー計画と人類の月への到達が、「どちらも当時のNASAで並行して動いていた宇宙開発計画であり、最終的にアポロ計画につながるものとも捉えられる」のです。

 

彼女たちの黒人女性差別との戦い

 『ドリーム:私たちのアポロ計画』は、ただ「アポロ計画」とするのではなく、「私たちの」というワードを付けています。つまりこの邦題は、正確に言えば「アポロ計画」のことを指しているのではないことがわかります。ではなにを指していたのかと言えば、この映画の本来のテーマである、黒人差別と女性差別の問題です。

 黒人女性の主人公らは、数学や科学の才能を持っているにもかかわらず、黒人女性だからという理由でNASAの中でも地位が低く、不遇の扱いを受けていました。しかし、ソ連との競争という現実にアメリカ政府とNASAが直面したとき、有能であることが正当に評価されていくようになります。その結果、彼女たちが努力によって出世し、その能力を発揮できるようになります。黒人と女性への二重の差別を受ける中で、彼女たちが出世するのは、到底不可能と考えられていたにもかかわらずです。

 劇中の彼女たちを取り巻く日常の変化の一つ一つは、人類を宇宙へ上げることに比べたら一見些細なことなのですが、彼女たちの才能がなければマーキュリー計画は成功していなかったことを知る時、それらの変化はまるで歴史的偉業のように見えてきます。日常という小さなスケールの変化と、宇宙開発競争という大きなスケールの変化という二つの強いコントラストが、実は表裏一体の関係であったことが分かった瞬間にカタルシスがじわじわと感じられるのです。主人公が次第にその才能を発揮していき、人類の月への到達を目指していく姿は、アポロ計画によって月面に到達したニール・アームストロングの「1人の人間にとっては小さな一歩だが,人類にとっては大きな飛躍だ。」という名言を想起させます。この映画を観て、その一歩を彼女たち、そしてNASAの職員たちはこの時既に踏み出していたことを知り、本当の歴史的瞬間に立ち会えたように思えるのです。それは邦題に「私たちのアポロ計画」とあればこその感動だったと私は考えます。

 

邦題の変更の是非

 20世紀フォックスが邦題の変更を発表した後、BuzzFeed Newsは続報の記事を出しました。この記事の取材に応じた町山氏は、ネット上での邦題への批判が「映画会社側の時代感覚のなさ、観客は知らないだろうという勘違い、そして、知らない言葉はタイトルに使ってはいけないという思い込み――この3点が組み合わさって起きた事態」といい、映画の内容を知らないユーザーをキャッチ―な言葉で呼び込もうとした安易な姿勢だと批判しています*3。しかし、邦題が観客を騙そうとし、馬鹿にしているという批判が妥当ではないことは、先ほど述べてきたとおりです。むしろ逆で、複雑な思考を観客に求めた結果、理解が得られず批判されたと言えます。というか、批判も織り込み済みで、公開中に議論になってほしかったのでは、とさえ思う。

 確かに20世紀フォックスには、観客が邦題に込めた意図を読み取ってくれるだろうという希望的観測があったと思われます。しかし私は、それでも邦題を変更すべきではなかったと考えます。「ドリーム:私たちのアポロ計画」は、原題にはない独自の解釈を提示している点でかなりチャレンジングな邦題だったと言えます。フォックス側は、このことをもっとちゃんと説明するべきでした。『ドリーム』、これこそ最強にクソみたいな邦題です。今回の騒動で最終的に誰が幸せになれたのでしょうか。特にこの映画を高く評価し、広報活動など様々な貢献をして来たであろう町山氏にこう尋ねてみたいです。あなたの批判は、この映画にとって本当に必要でしたか?

 

おわりに

 今回の騒動での教訓は、海外で先に公開されている映画の邦題にオリジナリティーを盛り込むのはやめた方がいいってことでしょうか。それは、原作物が原作を忠実に再現することを求められる構図と似てるような気がしています。それに今回の邦題がそれほど原作を無視して自己中心的につけたわけじゃないのがまた悲しいところです。ほんとに運が悪かったとしか言えないですね。

 

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*1:番組の書き起こしは、以下のサイトを参照。「町山智浩『ヒドゥン・フィギュアズ(邦題:ドリーム)』を語る」『miyearnZZ Labo』2017/4/11〈http://miyearnzzlabo.com/archives/42884

*2:「【更新】タイトルと内容が違う…?大ヒット映画の邦題「私たちのアポロ計画」に批判 配給会社に聞く」『BuzzFeed News』2017/06/8〈https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/dream-apollo?utm_term=.pbzqn2zwQ#.wgALqEP5e

*3:「女性向けはスイートに、誤解を招く表現…「アポロ計画」だけじゃない、映画邦題の問題点 町山智浩さんに聞く」『BuzzFeed News』2017/06/11〈https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/rocket-girls-machiyama?utm_term=.kyRXL387q#.xcXkawgEq