noumos blog

『時をかける少女』 ≪白梅ニ椿菊図≫について

f:id:noumos:20150718005341j:plain

 細田守監督の『時をかける少女』が地上波ということで、今回はずっと疑問に思っていた作中に出てくる架空の絵≪白梅ニ椿菊図≫について、この作品がこの映画でどのような役割を果たしているのかを考えてみよう。

 ≪白梅ニ椿菊図≫は、劇中で未来人の千昭がこれを見るためにやってきたという設定で登場する、この映画で特に重要なアイテムだ。しかし、この作品に関する言及はほとんど成されず、登場する機会も一瞬であるため、この絵にどのような意味が込められているのかを考える手掛かりは少ない。

 それにそもそもこの作品のタイトルはなんと読めばいいのだろうか。「白梅」は、「しらうめ」もしくは「はくばい」と読む。尾形光琳の≪紅白梅図屏風≫(こうはくばいずびょうぶ)や、呉春の≪白梅図屏風≫(はくばいずびょうぶ)などがあるから「はくばい」と読むほうが一般的だろう。次に「ニ」は、これ漢数字ではなくカタカナで表記されている。そして「椿」は、「つばき」「ちん」。「菊」は、音読みの「きく」しかない。

 したがってこの絵のタイトルは、白梅、椿、菊と植物の名称を並列した「はくばいにつばききくず」と読むと思われる。(追記:映画公開当時の読売新聞記事でもそうルビが振られているのが確認できた。*1

 ≪白梅ニ椿菊図≫について簡単に解説すると次のようになる。この絵は東京・上野にある東京国立博物館に収蔵され、そこで長年の間、当館の学芸員である「魔女おばさん」こと主人公の真琴の叔母・芳山和子が修復していた。そして、とうとう修復が完了し、当館の「アノニマス―逸名の名画―」という架空の展覧会で展示されているところが、この絵が劇中に一瞬だけ登場するシーンである。千昭によれば、この絵はもう未来では見ることができず、記録上ではこの展覧会を最後に行方不明になっているという。

 この絵の素性については、芳山和子の以下の台詞でほのめかされている。

作者もわからない。美術的な価値があるかどうかも今のところはわからない。〔中略〕この絵が描かれたのは何百年も前の歴史的な大戦争と飢饉の時代。世界が終わろうとしてた時、どうしてこんな絵が描けたのかしらね。

この台詞からわかるのは、作者不詳、制作年代は推定数百年前、当時は大戦争と飢饉の時代であったということだけだ。日本で該当する時代は、室町から戦国時代にかけてといったところだろうか。

 なお、「アノニマス―逸名の名画―」には、この絵の他に実在する作品も展示されている。この展覧会のために架空の出品リストまで作ったらしい。なぜこんなにディティールが凝っているかというと、東京国立博物館の研究員で、日本の近世、近代絵画史が専門の松嶋雅人がこの展覧会を監修しているからだ。細田とは金沢工芸美大の同級生という縁で交友があるという。

f:id:noumos:20190305165106p:plain

 本編ではちらっとしか映らないが、≪白梅ニ椿菊図≫の両脇に展示されているのは、≪玄奘三蔵像≫と≪隠岐配流図屏風≫という実在する絵だ。これらの絵も映画のなかに登場することで物語と関連した役割を担っている。そして、この二枚の絵を≪白梅ニ椿菊図≫の両隣に配置するキュレーションの意図を読み解くことで、この絵の意味を導き出せるようになっている。この「アノニマス―逸名の名画―」という架空の展覧会自体がこの絵に様々な意味を持たせるためにつくられているからだ。

f:id:noumos:20190117235417j:plain

 ≪玄奘三蔵像≫は、鎌倉時代の作で、『西遊記』でおなじみの三蔵法師のモデルとなった玄奘が描かれている。「法を求めて中国から中央アジアの砂漠を越えてインドに渡り、インド各地を巡って多数の経巻を入手して中国に持ち帰った玄奘三蔵の姿を表したものといわれている」*2

 この絵を登場させることで、未来から過去へ絵を見にやってきた千昭と、仏教の教えを求めて中国からはるばる砂漠を越えてインド(ガンダーラ)へと渡った玄奘の行いには近いものがあると示唆している。≪白梅ニ椿菊図≫と≪玄奘三蔵像≫が関連づけられることで、≪白梅ニ椿菊図≫には、この絵が千昭のような未来人にとって救いとなるような重要な絵であるという意味が生じている。

f:id:noumos:20190117235520p:plain

 つぎに、≪隠岐配流図屏風≫(アメリカ、キンベル美術館所蔵)。作者は不詳で、制作年代は室町時代後期。全体にうっすらとかかった金色の雲と岸辺へと打ち寄せる波の描写が画面の大部分を占め、右端にポツンと寂しく座っている男性が描かれている。細田は当初この絵を千昭が見にくる絵として構想していたそうだ*3

 ≪隠岐配流図屏風≫については、東京国立博物館研究員の鷲頭桂が興味深い指摘をしている。鷲頭によると、この絵は「先行研究では『増鏡』の後鳥羽院もしくは後醍醐天皇隠岐配流を描いたものとされてきた」が、本当は「『源氏物語』「須磨」「明石」帖が典拠となっている」という*4。画面右端で佇んでいる男性は、従来の解釈では島流しにあった上皇、もしくは天皇と考えられてきたが、実際は色恋沙汰が原因で都を離れ、自主謹慎中の光源氏だというのだ(「須磨」「明石」はそういうエピソード*5)。

 この鷲頭の指摘は映画公開後の2008年になされているので、≪隠岐配流図屏風≫はこの映画で、従来の解釈と同様に「島流しにあった高貴な人物が描かれた絵」として登場していると考えていいだろう。その場合、未来人の千昭がルールを破り、過去の世界から未来に戻れなくなってしまうという映画終盤の状況が、この「島流しの絵」と重ねられているという解釈が可能である。

 ところが、鷲頭の指摘のとおり『源氏物語』の絵であるとすると、この解釈には齟齬が生じてしまう。光源氏と千昭の姿と重ねるとなると、もしかして千昭って未来ではプレイボーイだったわけ!?サイテー!などと誤解を招きかねない。もし細田の当初の構想通りに千昭がこの絵を見にきていたとしたら、なおさら映画の解釈が大きく変わってしまうなんてことになりかねなかっただろう。

 以上のように、これらの絵にはそれぞれ男性像が描かれており、それが千昭というキャラクターを象徴的にイメージさせる仕掛けになっている。絵画をオマージュした絵作りをするという形でアニメの中で引用するといったことはわりとよくあると思うが、直接絵画を登場させてそれぞれ物語と関連させるというのはなかなか大胆な試みだったのではないだろうか。

 しかし、同時に、実在する絵画はその解釈がのちに変更が加えられることもままあることなので、それがリスクになってしまうという問題もあるとわかった。まぁむしろ光源氏の下りはこの映画を下世話な話としても読めるという、それはそれで筋が通ってしまいそうな奇跡的な着地をしていて個人的には笑えたが。ともかく、物語上重要な意味を担わせるには、実在の絵よりも架空の絵のほうが安牌なのはたしかだろう。

 

 では、そろそろ本題の≪白梅ニ椿菊図≫を見ていこう。細田は、トークイベントでこの絵についてかなり詳細に語っているので、まずそれを引用しよう。

Q. 「あの天女の絵は元ネタがあるんですか?」

細田 「あれですね、国立博物館にある「白梅ニ椿菊図」。お答えしますと、元になった絵は特に無いんですよ。最初は絵を見るってことだけを決めてて、どんな絵か探してたんですけど、実在する絵に適当なものは無かったんです。
描いたのはマッドハウス平田敏夫さんで、実はこの方は演出家なんです。『ボビーに首ったけ』とか『はだしのゲン2』とか、最近だと『花田少年史』のオープニングや『茶の味』の最後のアニメの部分とかもされてる。尊敬できる、素晴らしい演出家なんですね。
普通なら日本画家にお願いするんでしょうけど、そこを敢えて演出家の平田さんにお願いした。平田さんの絵って、何かとっても暖かいていうのかな。色んな物を含んでいて暖かさがある。この作中の絵も、描かれた経緯が分からなくても何かが伝わってくるものがあるような絵なんだろうなと思っていたので、平田さんしかいないなと。
ちなみに、この絵は女性の顔らしきものの下に、その下に4つの物が浮いているんですが、これは平田さんによれば「宇宙」だそうです。それをぐるっと龍のようなものが渦巻き状にとり囲んでます。その周囲に実は花があるんですが、それがある種の吉祥性を表しています。周囲の花の方は絵が傷ついていたりして判然としないものになってます。
あとは、絵のタイトルなんですけど、和子があの絵に名前を付けたんです。お寺さんかどこかから持ってきてね。こういう絵の名前は研究者がつけることが多いんです。」*6

 

f:id:noumos:20150718005341j:plain

 インタビューを踏まえつつ画面に注目してみよう。細田が言うように、中心には女性が、胸のあたりに4つの球体を抱擁するように描かれている。その球体は青色で、地球を連想させる(制作者の平田敏夫によれば宇宙だそうだが)。女性の周りには、雲(龍?)のようなものが辺りを一周して囲んでいる。よく見るとそれと一緒に花や鳥のような生き物も描かれているが、殆んど同じ色をしているため判別しにくい。タイトルにある白梅や椿、菊がどこにあるのかもよくわからず、全体的に曖昧模糊としているが、これは損傷によるものということらしい。

 最初に述べたように≪白梅ニ椿菊図≫は、室町から戦国時代あたりに描かれた絵という設定らしいのだが、モチーフの描き方を見ると、それはどうもリアリティーに欠けると言わねばならないだろう。実際の歴史に残る絵と比較してみよう。下に示したのは、今から120年ほど前に描かれた作品。日本画家の狩野芳崖(1828-1888)が死の直前に描き上げた≪悲母観音≫という絵だ。芳崖は、伝統的な日本絵画の技法と西洋絵画の技法を折衷させたやり方で描いている。

f:id:noumos:20170402203143j:plain

 ≪悲母観音≫の幼児を包む球体の描写がわかりやすいと思うが、いくら西洋の画法を取り入れていると言ってもモノの輪郭線がはっきりした描き方をしている。それに対して≪白梅二椿菊図≫は、中央の女性や彼女を囲む雲のようなものは輪郭線がはっきりと描かれているものの、4つの青い球体は輪郭線があいまいであり、≪悲母観音≫の球体よりもはるかに立体感がある。

 ≪白梅二椿菊図≫の制作者の平田は、武蔵野美術大学油絵科出身である。女性が抱擁している4つの球体の立体感は、油彩画的な技法に由来している。言うまでもなく、西洋の画法である油彩は、数百年前には未来のテクノロジーであり、その表現をあえて絵に取り入れるということはこの絵がオーパーツであるということだ。

 このようにモチーフの中で特に意味ありげで際立っているこの4つの球体は、先ほどのインタビューによれば宇宙のようなものとして描かれたという。絵画の歴史において宇宙はまだ科学が発展していない時代においては宗教的な世界観をもとにして描かれるべきモチーフである。しかし、4つの宇宙にそういった宗教的世界観を感じ取ることは難しい。そういう意味でも、この絵は非歴史的である。

 先ほど見た≪玄奘三蔵像≫との関連から、≪白梅二椿菊図≫が救いという宗教性を帯びた絵画として登場することはたしかだろう。だが、一方で歴史に準拠しているわけでもないとすれば、この絵が表現しているのは日本が歴史上長らく保持してきた宗教的な世界観というよりも、むしろ、主人公の真琴がタイムリープする際に幻視するSF的な世界観であると言った方がいいだろう。つまり、4つの宇宙が意味しているのは、真琴がこの映画で駆け巡る複数の可能性の世界である。≪白梅ニ椿菊図≫は、その可能性の世界を女性が抱擁する救いの絵なのだ。

 では、この女性はいったい誰なのだろうか。先ほど述べたように、≪玄奘三蔵像≫と≪隠岐配流図屏風≫という2枚の絵には男性が描かれており、千昭がそれらの男性と関連付けられていた。したがって、この絵に描かれた女性は、真琴と関連付けられていると考えるのが自然だろう。様々な可能性の世界を体験し、千昭とかけがえのない瞬間を共有した真琴は、未来では失われてしまったこの絵をそうならないように守り継いでいくと決意する。これはこのかけがえのない瞬間を永遠にしようという意思の表明でもある。この真琴の意志を数百年前に描かれた絵が先立って表現し、龍や花々といった吉祥のモチーフによってそれを祝福しているというふうに捉えられる。この映画のために制作された、つまり、この時代この瞬間のために描かれた数百年前の絵という整合性のなさは、むしろ遠い過去から現在を予見する絵として、この作品のSF的な魅力を高めている。

 まとめると、≪白梅ニ椿菊図≫は、未来の技術によって未来的世界観が描れており、かつ、その内容が未来(真琴たちにとっての現在)を予見しているオーパーツ的な絵である。そして、未来人にとっては過去に存在したと記録上残っている救いの絵であり、真琴にとっては千昭と共有した瞬間を繋ぎとめる遠い過去からの祝福の絵でもあるということになる。

 こうして丁寧に分析してみると、この絵の面白いところは、映画という作品の中に、作中の世界観に沿って作られたもう一つの作品があり、それ自体が読み解きの対象になりえるほど深い意味をもっていることにある。≪白梅ニ椿菊図≫は一つの絵としてかなり完成度が高いし、映画により一層深みを与えているのはたしかだ。とはいえ、この絵は結局のところ男女が長大なスケールで惹かれ合っていることを演出するための小道具であって、独立した芸術作品として評価することは難しいというのもまた事実だろう。

 それにしたって≪白梅ニ椿菊図≫が室町~戦国時代の作品として描かれる必要ってどこにあるんだろうかという疑問は残る。遠い過去の混乱の時代というのもなんだか取ってつけたような薄い設定に感じられる。そもそも映画の本筋においても千昭が生きる未来はなにやら悲惨なことになっているようだが、示されるのはどれも抽象的な情報ばかりでいまいち深刻さが伝わってこない。あんまり深刻すぎてしまうとと男女が惹かれ合ってる場合ではなくなってしまうからほどほどに時間的距離や抽象性でごまかして、すこし芸術的な雰囲気も味わえるおしゃれさを醸し出そうとしているだけではないか。わたしには≪白梅ニ椿菊図≫がこの映画自体の弱弱しさをあぶりだしているように思えてならない。

*1:前田恭二「記者ノート・“時をかける絵”見ましたか」(読売新聞2006年8月31日)

*2:e国宝 - 玄奘三蔵像

*3:このあたりのことは『日本の美術』2月号(No.489)至文堂 (2007)の、二人の対談で語っているようだけど、私は確認してません。

*4:鷲頭桂「大画面形式の源氏物語図屏風の成立に関する一考察―いわゆる「隠岐配流図」(キンベル美術館蔵)を手かがりに―」http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~artist/gakkai2008/presentation/presentation10.pdf

*5:参考サイト 須磨観光協会 - 源氏物語と須磨 http://www.suma-kankokyokai.gr.jp/modules/pico/index.php?content_id=9

*6:渋谷オールナイトのレポート(『時をかける少女』公式ブログ)(魚拓)https://web.archive.org/web/20080119210130/http://www.kadokawa.co.jp/blog/tokikake/2006/09/post_95.php