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語ることって大事

【短い感想】『ブレードランナー2049』(2018)

はい、ブレランですね。もうそろそろ興行が終わってしまうと知って、焦りました。

見る前に、前作を復習しようと思ってTSUTAYAに行ったら全部借りられてて、しょうがないからファイナルカットのBD買いました。メイキングも見れたので、結果的に良かったかな。

 

ブレランは、人間とは何か、という根源的なテーマを扱っているけど、これは今作でも継承されてたね。じゃあ、一作目となにが違っているのか。

 

 

一作目のブレランは、もっと長く生きたいと願うレプリカントたちのあまりに人間的な生への衝動を描いたよな。一方、今作のブレランは、己の使命を己で選択し、命を全うするレプリカントを描いていた。だからこそ今作の主人公は、デッカードではなくレプリカントである必要があったんだね。

自分の命の在り方を自分自身で決定するあまりに人間的な姿とその高潔さに感動したよ。映像の美しさも相まってね。

 

主人公のジョーは、最後レプリとしての使命(デッカードを殺すこと)ではなく、己の使命(彼を娘に合わせること)を全うして死んだ。それが彼を人間たらしめたってメッセージだよね。

人間は死にざまが肝心だって誰かが言ったけど、まさにこの映画はそれを体現してたと思う。

一作目のように長く生きられない自分の運命に抗おうとすることから、今作は自分がどう生きるのかという問いに答えを出すってところに「人間とは何か」というテーマを昇華させてた。

この点に関しては100点満点だよ。感動させられた時点でもう手放しの称賛を送るしかないよ。

 

ではジョーを人間たらしめたのは、何だったのか。これは思い出なんだと思う。懐かしい思い出をもち続けることで人間は人間らしく生きられるのだ、そう言いたいんだと思う。

彼はデッカードの娘の思い出を移植されていた。たしか、娘を匿うレプリたちの偽装工作の一環で彼は誕生した、って話だったと思う。

ジョーの女上司は、これまで会ったレプリたちの中で一番人間らしいと言っていたよね。

それはたぶん、ジョーの持つ思い出が現実にあったデッカードの娘の記憶から出来ていたからだろうね。通常レプリの記憶は、人工的に作られたものだけど、彼のはそうじゃなかった。

人間は思い出に生きるってメッセージは、ジョーが愛してた彼女がAIだったことからも描かれてたね。自我をもったAIは、肉体をもたないだけでほとんど生の人間に見える。このAIは結局プログラムでしかないはずなんだけど、ジョーは彼女を愛していたのは事実なんだよ。

終盤に彼女を失ったこと、その痛みを知ったことでジョーは己の使命に気づく。そのことを示すは、AI彼女の広告(巨大でコミカルなホログラム)がジョーを慰めるシーンだろう。

こんな一見くだらないものを、ジョーはそれでも愛していた。そこでジョーは、娘に一度も会えないまま、これから自分に殺されるデッカードに自分を重ね合わせたんだろうとわかるよね。

 

デッカードの娘を匿うレプリたちは、娘が持つ生殖機能を自分たちの人間の証として捉えていたよな。たぶん彼女の血を絶やさないように守って、レプリたちの希望の象徴に仕立てあげたかったんだろうね。

しかし、それはレプリカントという種全体のスケールの話だ。ジョーの中に芽生えたのはもっと個人的な感情だった。

それは、自分がデッカードの息子ではないかという疑問だよ。ジョーデッカードとの殴り合いは、まるで父と子の喧嘩のようだったでしょ?(鉄砲玉まで撃ってたけど)

二人の間の微妙な距離感も親子関係として見た時、なんともいえないリアリティーを感じたよ。頑固オヤジに久しぶりに会いに行った息子みたいなね(笑)

 

ジョーデッカードに見せる思いやりは、まさに息子のそれだった。彼にとって欠落していた思い出が、そこで埋め合わせられたんだよ。二人は実際の親子ではなかったんだけど、じゃあジョーの思いやりは偽りだったのか。それが真実だったことが、ラストで証明されるわけだよね。

では己の使命のために死んだジョーは、はたして幸せだったのか。

人間は思い出を完結させるために生きているわけだけど、それは人を幸福にしてくれるのだろうか。

答えは、目に見える絶望感の中にあえて見出さなくてはならないってことなんだと思うよ。

 

 

ここまで読んでくれた人に、豆知識ね。

 

劇中、ジョーデッカードが酒を飲んでた部屋には、19世紀イギリスの風景画家ターナーの絵が掛かってたよ。この絵だけど気付いた人いるかな。

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雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道(1844)

 

なんでこの絵が掛かってたかっていうと、これは一作目ブレランの構想段階であったシーンを意識してるんだと思うよ。

今作の冒頭の小屋でのシーンは、同じ一作目ブレランで当初構想されてたシーンだったね。スープがコトコトしてるところにレプリが入って来て、ブレードランナーがそいつを撃ち殺すっていう場面。

そこまでは今作で晴れて映像化されることになったけど、実はその後に、その小屋の前を汽車が通り過ぎるってシーンも構想されてたんだよね。ソースはファイナルカットのBDに同梱されてたメイキングビデオだよ。そのシーンのコンテが、このターナーの絵にそっくりなんだよね。

 

かなり突拍子もない幻想的な風景だけど、こういう細かいところでオマージュを入れるてるの見ると、この映画の前作に対する敬意が伝わってくる。