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【短い感想】『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016)

岩井俊二監督の去年の作品。

 岩井監督の存在は今年知りました。夏にアニメ版『打ち上げ花火』をやるので予習としてドラマ版をみて、それから『リリィシュシュの全て』『市川崑物語』を観ていったという流れ。ハマりそうでハマらないそんな距離感がある作品が多い印象。とはいえ、みるたびに心がえぐられることも多く、しんどい。

  すこし映画と関係ない話をすると、夏に真夜中に2ちゃんねるを見ていまして、そこで明日彼氏とセックスするんだけど・・・などというスレを立てている自称女子高生とチャットみたいなことをしていました。話を聞いてると彼氏から告白されて、そんなに好きとかじゃないけどお試しで付き合って、今度セックスするんだとかなんとか言っていました。好きじゃないのにセックスはするとかしょうもないですねとわたしは言いましたが、彼女はそれでかまわないそうです。それと、彼氏とはそのうち別れるだろうとかなんとかいってて、こちらとしてはなんだこいつと思うだけでした。そのときはちょうど『リリィシュシュ』を観た直後だったのでその話を振ってみたところ、自傷彼女は岩井俊二のファンで、逆にお気に入りの作品をおすすめされました。ちなみにおすすめされたのは『花とアリス』でした。

 それから岩井の映画を見るたびに、あの自称彼女はいったいどんなセックスをしたんだろうかなどと思い出すはめになってしまい我ながらかなりキモイなと思っています。岩井映画は、セックスのイメージが強くあるのでなおさらそう思ってしまうのです。『リリィ』も『リップヴァンウィンクル』もセックスもしくはレイプシーンはとくに心えぐられる場面でした。

 『リップヴァンウィンクル』の話自体は正直なんだこれ…よくわからんって感じでした。

  人はいろいろな仮面を複数持っていて、それがこの映画ではSNSのアカウントだったり、親族代行だったりします。そして、なにか一つの本当の自分なんてものはなく、どれも自分であるからには、自分とはその集合でしかないということになるという話だったような気がします。知らんけど。

 誰かに必要とされる自分をいくつも作りたい、持っておきたい。いらなくなった自分はアカウントを削除する、それでいいのかもしれないし、真白が死んだとき、七海は真白に必要とされていた自分を失って、それはある意味で死なんだろうということなのかな、難しくてよくわかりませんが。

 その思い出を生きる糧にしてさらに強く生きていくのが人生というもので、つらい思い出とは人生の肥料なのかな、とか思っておけばこの映画を鑑賞したことに一応なっていると思います。きっとそうに違いない。