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語ることって大事

マーニーとは誰だったのか? 『思い出のマーニー』の考察

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思い出のマーニー』を考える

 スタジオジブリ『仮ぐらしのアリエッティ』で初監督を務めた米林宏昌監督の最新作『思い出のマーニー』が公開された。ジブリのアニメスタジオは解散の危機とも言われる中で、この映画が言及される際には、当然次のジブリ映画は見られるのか、米林監督は宮崎駿の後継者足りえるのか、といった話題になるだろう。ここでは、そういう話は一度置いておいて、この映画の内容を主にビジュアル面から読み解いていきたい。

 

 『思い出のマーニー』の特徴は何と言っても、メインキャラクターの二人が女の子という点にある。彼女たちの人間模様は、どことなく物憂げな雰囲気をまとっており、主人公杏奈の成長は、ヒロインのマーニーとの間で取り交わされる物静かなやりとりを通して描かれる。これまでのジブリ映画のような壮大なスペクタクルはなく、それは例えるなら少年漫画と少女漫画くらいの差がある。この差は、米林監督があえて他のジブリ映画とは真逆の戦略をとったことに起因していると考えられる。

僕は宮崎さんのように、この映画1本で世界を変えようなんて思ってはいません。ただ、『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』の両巨匠の後に、もう一度、子どものためのスタジオジブリ作品をつくりたい。この映画を見に来てくれる『杏奈』や『マーニー』の横に座り、そっと寄りそうような映画を、僕は作りたいと思っています*1

 

 

ジブリ映画の追体験

 とはいえ、『思い出のマーニー』には、これまでのジブリ映画を意識したであろうシーンが随所にちりばめられているように見える。杏奈が体験する出来事は、なんとなくビジュアル的にジブリっぽいけどジブリじゃない、そんな微妙な感覚が常につきまとう。

 この映画の中には、過去のジブリ映画と似通ったシーンがいくつもある。それらのシーンを比較してみることは、この映画の特徴を捉える上で有効と考えられるので、これからいくつか見ていくことにしたい。

  例えば、主人公が新しい地へとやってくるというのは、『千と千尋』の冒頭によく似ている。そして、友達との別れを惜しみながら引っ越し先へ向かう千尋と、理解者の居ない鬱屈した現実から逃げ出すように田舎へ赴く杏奈とでは、新しい場所へ向かう動機がまったく異なっている。

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 杏奈が神社の階段を泣きながら駆け下るシーンは、画面の構図的にも『耳をすませば』のシーンと似ている。見比べてみると両者の差が残酷に思えるほどだ。夢らしい夢を抱けないことが原因で喧嘩をしてしまった杏奈と、小説を書くという夢に胸を躍らせる月島雫は、まったく正反対な二人だ。米林監督が言う、子どもたちに「そっと寄り添う映画」とは、杏奈のように人生に希望を抱けない若者に向けての言葉なのだろう。

 キャンバスに向き合うおばあさんというのは、『風立ちぬ』のポスターなどのメインビジュアルを想起した人も多いかもしれない。『風立ちぬ』のヒロイン・里見菜穂子は余命いくばくもない身でありながら人生の絶頂期を駆け抜けていくが、おばあさんは隠居生活を送っているようだ。

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 『思い出のマーニー』 には男性がほとんど出てこないが、その中の数少ない一人がマーニーの父親だ。この湿っ地(しめっち)屋敷のパーティーのシーンは、『風立ちぬ』のシーンを意識しているように見える。『風立ちぬ』のカストルプは気さくで気立てのいい人物だが、マーニーの父親には冷徹さを感じる。顔に落ちた影、やや下に傾けた顔、控えめなほほ笑み、青みがかったスーツや背景の色味、ワイングラスの持ち方までが、この父親の人間模様を際立たせている。

 他にもボートで海を行ったり来たりというシーンや、気付いたら海が出来ているという場面は、『崖の上のポニョ』のようでも『千と千尋』のようでもある(さらにさかのぼれば、『パンダコパンダ』も)。近道の雑木林に入っていくシーンは、『となりのトトロ』を思わせる。しかし、この映画では、この先に何かがありそうな近道を行ってもなんにもないし、いつのまにか海が出来ていてもおもちゃの船を大きくしてくれる金魚の妖精も登場しない。人々が胸を躍らせたくなるようなファンタジーの世界を、この映画はあえて拒否しているかのようである。

 先ほどいくつか見てきた各シーンでは、過去のジブリ映画よりも色の彩度をかなり落とされており、なるべく強調的なアングルを使わないように配慮がなされている。このようにダイナミックさを抑える米林監督の演出は、宮崎駿の世界に対するアンチテーゼのように見える。本作の美術監督にいままで実写映画の美術をやってきた種田陽平を起用し、ある意味異常なまでのリアリティーを追及しているのもこのような意図からだと思われる。

 次のように語っている米林監督は、これまでのジブリ映画のようにスケールの大きな世界観を構築しようとはそもそも考えておらず、ときに残酷ですらある小さな現実をあえて描いているようだ。

宮崎さんがどう思うか。スタジオジブリがこれからどうあらねばならないか。 そういうところは意識せずにつくりました*2

 

 

マーニーとは誰だったのか

 しかし、壮大な世界観を拒否するこの映画の中にも、ひとつだけ「マーニー」というファンタジー要素が存在する。では、マーニーとはいったいどのような人物なのだろうか。

 マーニーは、杏奈の実の祖母であったことが映画の終盤に明かされ、それが表向きの結論となっている。しかし、杏奈が何度も劇中で出合ったマーニーは、実在する祖母本人ではない。杏奈が幼少期に祖母から聞かされた思い出話の登場人物である(すこしややこしいが)。

 終盤では、祖母が決して幸せな人生を送ってはいなかったことも明かされる。物語の前半では、マーニーは明るくて、杏奈をやさしく包み込んでくれる存在として描かれていた。しかし実際は、屋敷でいじめられ、両親からも愛されずに育った可哀想な子であり、しかも、それに追い打ちをかけるように、娘(杏奈の母)とうまく関係を築けないまま死なれてしまう。祖母の人生は、杏奈が出会ったマーニーの姿と比べると、かなりギャップを感じる。

 このギャップが生まれた原因は、祖母が杏奈に語った思い出が楽しく幸せに満ち溢れたものだったからだろう。それを示唆するかのように、終盤の回想シーンには、祖母が楽しそうに幼少の杏奈に思い出を語って聞かせる場面がある。杏奈の記憶の中では、マーニーはたしかに明るく魅力的な女の子だったのだ。

 この祖母の思い出話のもう一人の登場人物は、杏奈の祖父となる和彦である。彼がマーニーと結ばれるというのが、この「物語」の筋書きである。つまり、『思い出のマーニー』は、祖母が語って聞かせてくれた「物語」に杏奈がのめり込んでいくさまを描いた映画なのである。

 杏奈が体験する没入感は、彼女自身が「物語」の舞台となった湿っ地(しめっち)屋敷に実際に居合わせることがトリガーとなっている。これは、小説や映画、アニメのファンたちが、作品の舞台となった聖地を巡礼し、現地で体験する臨場感に近い。ただ、杏奈の没入は、かなり病的で、命の危険すら感じられる。杏奈にとってこの「物語」は、追い詰められた先にあった駆け込み寺のようなものであり、そこに没入できるかできないかは、より深刻で差し迫った問題なのだ。

 

 

 米林監督に『思い出のマーニー』の映画化を持ち掛けた鈴木敏夫は、この映画のテーマを「孤独」と総括している。

「今回、僕らが作っている『思い出のマーニー』もそれ〔孤独〕がテーマになっている」 “孤独”というテーマについて、「いろいろやってきているうちにそうなっちゃった。世の中が変わって、映画やテレビは大勢や家族で見るものだったけれど、今ネットは個人でするものになっている。技術革新によって人々の暮らしが変わって、そんな時代に彼の映画は意味を持つと思う」*3

 

この発言から見えてくるのは、現代の子どもたちにそっと寄り添い、孤独を癒してくれるもの、それは家族でも友達でもなく「物語(フィクション)」だというテーマである。

 この映画では、子どもが大人になる過程において、その「物語」から卒業を果たさなければならないという現実が、杏奈の葛藤として描かれている。たとえいくら「物語」に没入できたとしても、サイロにマーニーと一緒に行くのは自分ではなく和彦なのだということが、杏奈には受け入れ難い。必ずしも「物語」が自分に寄り添い続けてくれるとは限らないフィクションであることに気づいたとき、杏奈はマーニーに裏切られた気持ちになる。しかし、それでも最後には、マーニーを許し、この「物語」を愛し続けるという結論を導き出す。それがこの映画で描かれる杏奈の成長である。

 この映画は、アニメや漫画に熱中する今時の若者たちが、マーニーという「物語」にのめり込む杏奈の姿に自分を重ね、自分にとってかけがえのない作品たちとの関係を改めて認識するように促しているのである。

 

 

オズの魔法使い』との比較

 『思い出のマーニー』は、子どもたちが夢を見て、いずれ卒業する、その成長の過程に焦点を当てている。これと似たような構造の物語に『オズの魔法使い』がある。

 『オズの魔法使い』は、ドロシーという少女が竜巻に飛ばされてオズの国へ行き、大冒険を繰り広げて、最後にまた家に戻ってくるというストーリーである。ドロシーははじめ、家を出ていきたいと思っていたが、オズの国へ行くと、だんだん家へ戻りたいと思いを募らせるようになり、家に戻ってくると、やっぱり家が一番だと安堵する。これを少女がオズの国という「夢」から卒業し、家という「現実」を直視するようになる成長のお話と見ることができる。

 

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 『思い出のマーニー』と『オズの魔法使い』は、基本的なストーリーの構造が同じである。しかし、杏奈がドロシーと違うのは、オズの国(夢)に留まりたいと願いながらも追いやられてしまう点だ。

 この映画では、「夢」が手放しがたいもの、手放すには苦痛が伴うものとして描かれている。では、現実から逃げたいと願った杏奈にとって、マーニーの「物語」とはただの「夢」だったのか、といえばそうではない。『思い出のマーニー』は、その題名の通り、マーニーとの間に起きた出来事を「思い出」として捉えている。マーニーをオズの国のように過ぎ去ってしまう「夢」として捉えるのでなく、自分を形作っている「思い出」として受け止めることで成長する姿が描かれているのである。

 

 

ポスターに込められた意味

 

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 米林監督は、杏奈というキャラクターを作るきっかけを以下のように述べている。

でも、鈴木さんからぜひやってくれないかと言われて、何点か絵を描きながら思いついたのが、杏奈を"絵を描く女の子"にすればどうかということ。そうすれば、杏奈が物を見ている目で、杏奈の心の中を描けるんじゃないかと思い、映画を作ろうと決意しました*4

 

杏奈がマーニーの絵を描くこと、つまり自分の好きな作品のキャラクターを描くことは、最近のアニメや漫画の二次創作に見られるように、現実でも行われていることだ。

 そこで、上に示したポスターの意味を考えてみよう。この手書きのポスターは、マーニーしか画面に配置されていない。このポスターのマーニーを杏奈が描いたものだと仮定すると、 「あなたのことが大すき」という言葉は、一見マーニーから発せられた言葉のように見えるが、この絵を描いた杏奈の言葉と考えたほうがしっくりくる。 

 

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 そして、もうひとつのセル画のポスターに書かれている言葉、「あの入江で、わたしはあなたを待っている。永久に——。」は、マーニーの言葉として受け取ることができる。マーニーを「物語」の象徴として捉えるならば、「永久に」という言葉の意味もおのずと見えてくる。人から人へと受け継がれていく「物語」は、時間を超越している。だから、マーニーに会おうと思えばいつでも会いに行くことができる。

 「あなたを待っている。永久に——。」というフレーズは、ふたりの気持ちが通っているようでもあるし、お互いの流れている時間が異なっているような不思議な感じも覚える。しかし、重要なのは、相手を安心させようとして投げかけた言葉だという点だろう。

  誰しも、杏奈にとってのマーニーのような、思い出深い、お気に入りの作品があるのではないだろうか。ひょっとしてそれは、引っ越しや大掃除のときについついめくってしまうマンガだったり、実家に帰省した時に懐かしくなりながら手に取る小説だったりするのかもしれない。

 

*1:映画.com速報「米林宏昌監督「思い出のマーニー」にかける並々ならぬ思い」2014/4/16〈http://eiga.com/news/20140416/2/

*2:デイリースポーツ「ジブリ最新作は“脱宮崎” 宮崎駿監督の意向を“無視”!?」2014/7/15〈https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/07/15/0007147325.shtml

*3:ORICON STYLEジブリ思い出のマーニー』、テーマは「孤独」鈴木P明かす」2014/5/29〈http://www.oricon.co.jp/news/2037982/full/

*4:マイナビニュース「(米林監督) ジブリ最新作『思い出のマーニー』宮崎・高畑両氏も絶賛、新生ジブリ作品の魅力」2014/7/3〈 http://news.mynavi.jp/articles/2014/07/03/marnie/